農業/漁業など1次産業系の職種

魅力いっぱい酪農と漁業の独立開業。6次産業化で経営安定

農業、漁業、酪農、林業などの国内1次産業は衰退する一方です。従事者の高齢化や後継者不足や地方の過疎化、肥料・飼料・燃料の価格高騰など、どれをとってもよいニュースはありません。

しかし都会で会社員をしながら、1次産業での独立開業に憧れを持つ人は、少なくないでしょう。
1次産業に携われば、地方に住むことができ、土や植物や動物といった自然と触れ合うことができるからです。

その憧れを現実にする方法があります。それは1次産業の6次産業化です。
1次産業は普通、農作物や動物などを育成して終わりです。しかし農家や漁師自身が、食品加工の2次産業や、農産品や魚介類を消費者に直接売る3次産業に取り組むケースが増えているのです。1次+2次+3次=6次産業というわけです。

最も利益率がよい3次産業を組み込むことで、儲かる農業・漁業・酪農・林業になるというわけです。
6次産業化でビジネスを軌道にのせた酪農家と漁師集団を紹介します。

ハーゲンダッツが認めた浜中町の牛乳で世界に打って出た「ファームデザインズ」

北海道の東端に浜中町という酪農の街があります。知られていないは当然で、人口は6,000人しかいません。
ただ浜中町にゆかりがある「ある2つのこと」は多くの日本人が知っています。

ルパンの街の牛乳がニューヨークに認められた

1つ目は、漫画「ルパンⅢ世」の原作者モンキー・パンチさんの故郷ということです。
そして2つ目は、高級アイスクリーム「ハーゲンダッツ」が浜中産の牛乳を使っていることです。
ニューヨーク生まれのハーゲンダッツは日本進出にあたり、全国の牛乳を調べました。その中で最も品質がよかったのが、浜中町のタカナシ乳業株式会社がつくっている牛乳だったのです。

「酪農王国の北海道で品質の高い牛乳がつくられるのは当たり前ではないか」と思われるでしょうか。
そうではないのです。ハーゲンダッツは北海道内の牛乳もくまなく調べて、そのなかで浜中町の牛乳がダントツに高品質だったのです。
ちなみにタカナシ乳業は、ハーゲンダッツジャパン株式会社に4,600万円(10%)出資しています。

JA浜中町が地域すべての酪農家の底上げをした

では浜中町では、特別優秀な品種のホルスタインを飼っているのでしょうか。もちろんそんなことはありません。浜中町の牛も普通のホルスタインです。
では何が他の酪農の街と違うのでしょうか。なぜ日本一の牛乳を生み出すことができているのでしょうか。
それは浜中町農業協同組合(JA浜中町)です。つまり農協です。

農協というと、のんびりした組織というイメージがありますが、JA浜中町は違います。攻めまくる酪農を展開しているのです。
JA浜中町は1981年に、牛乳や牧草地の土壌の成分を分析する「酪農技術センター」を、全国のJAに先駆けてつくりました。
酪農技術センターが分析した結果はすぐに酪農家に伝えられます。これにより、雑菌が増えていたら牛の乳の洗浄方法を変えたり、牛乳の成分が偏っていれば飼料の配合を調整したりすることができるようになりました。
つまり牛乳の成分の見える化を実現したのです。こうして浜中町のすべての酪農家がつくる牛乳の質が向上したのです。

浜中の酪農家の年収は4,500万円

浜中町の酪農家約200戸の年間総売上高は大体90億円です。単純計算で1戸あたりの年収は4,500万円になります。もちろんここから飼料などの維持費・経費を差し引くので手取り額は減りますが、それでも一流会社員と比べても遜色ない所得になるはずです。

都会からの移住者が牧場内にレストランを開業

そのような浜中町の酪農家から傑出したビジネスパーソンが現れました。東京ドーム12個分の牧草地で海野牧場を運営する海野さんです。

海野さんは都会暮らしを捨て、1987年に浜中町の離農した人の土地を買って酪農を始めました。JA浜中町には新規就農者に酪農を教える制度があり、海野さんそれを利用し一から牛の飼い方や牛乳の生産方法を学びました。

海野さんは、酪農事業が軌道にのると牧場内にレストラン「ファームデザインズ」をオープンさせました。そこで自分の牧場でつくった牛乳を使ったアイスやプリンなどのデザートを出したのです。

このレストランに、北海道旅行中だった百貨店の社員が立ち寄ったことがきっかになり、全国展開の足がかりができました。
百貨店の北海道物産展に出店したところ大人気となり、ほかのデパートの物産展にも呼ばれるようになったのです。
そして2011年、ファームデザインズはタイ・バンコクに出店しました。

「カッコイイ酪農家になりたい」という思いが実現

海野さんは大阪出身で、北海道帯広市の国立・帯広畜産大学で学びました。
会社員から酪農家に転身したとはいえ、ベースとなる知識はあったわけです。しかしそのことより大切なのは、海野さんの思いの強さでしょう。

海野さんは「カッコイイ仕事がしたい」と考えて、酪農の道を選びました。しかし実際に就農したら、カッコよさとはかけ離れた現実が待っていました。
そこで海野さんはファームデザインズを開設して6次産業化を果たし、自らの手でカッコイイ酪農家になったのです。

荒くれ漁師をまとめて「儲かる漁業」に育て上げた「魚素人の20代女性」

山口県萩市のある漁師まちに、マスコミの取材が押し寄せています。漁業という1次産業に付加価値をつけ、販路を自ら開拓し、6次産業化によって「儲かる漁業」を実現したからです。
漁業を立て直したこともすごいことなのですが、マスコミが注目したのはそれだけではありません。萩市の漁師たちを劇的に変えたのが、当時20代だった「漁業素人」の女性だったのです。

萩大島船団丸は2011年に3つの船団が結集して設立されました。その荒くれ者たちの集団を統括したのは、当時25歳だった坪内知佳・代表です。
坪内さんは「女漁師」だったわけではありません。漁師の娘だったわけでもありません。というより、萩市や山口県の出身者ですらなかったのです。

坪内さんは1986年、福井県に生まれました。大学を中退して翻訳の事務所を立ち上げましたが、その後、結婚を機に萩市に引っ越してきてコンサルティングを始めました。
漁業関係の行政手続きの手伝いをしたことがきっかけとなり漁師たちと関わるようになり、2011年の萩大島船団丸結成時に代表に就任しました。
2014年には萩大島船団丸を法人化して株式会社GHIBLIを立ち上げ、坪内さんが代表取締役を務めています。

坪内さんは漁師たちに、魚を大切に扱うことから教えました。
当時の漁師たちは、水揚げされた魚をかごの中に放り投げることなど当たり前でした。しかし坪内さんは、魚を乱暴に扱うことは「消費者の食卓に並ぶ食材」の扱い方としては間違っていると感じました。
坪内さんが1匹1匹大切に扱うよう指示すると、漁師たちは「魚のことを知らないお前が口出すな」と反発します。
すると坪内さんは負けじと、魚のことは詳しくないが、消費者のことは知っていると応戦しました。
坪内さんが代表に就任したころは、毎日喧嘩ばかりしていました。

間もなく漁師たちの怒りは頂点に達し、とうとう漁師の大将が坪内さんに「お前はいらん」と言いました。そのとき坪内さんは、飛び込み営業で獲得した20件の顧客リストを大将に見せました。そこには全国の鮮魚店や料理店の名前が並び、顧客が求める魚の種類や、料理長の好みなどが書かれていました。
それを見た大将は「頭が上がらない」と思い直し、坪内さんを本当のボスと認めたわけです。

坪内さんが次に取り組んだのは、既存の流通ルートを取り去って、鮮魚店や料理店に直接魚を届けることでした。
それを実行に移すと、既存の流通ルートをつくってきた漁協や仲買人たちから総すかんをくらいました。萩大島船団丸は漁協の建物を使わせてもらえず、魚の選別を屋根のない場所で行うようになりました。

しかし坪内さんは、萩大島船団丸の業績が上向いたころを見計らって、漁協や仲買人に「手数料」を支払うようにしたのです。
萩大島船団丸が直販で儲ければ儲かるほど、地域の漁業が潤う仕組みをつくったのです。

萩大島船団丸は農林水産省の6次産業化認定事業者として認定されました。つまり国が、坪内さんと漁師たちの取り組みを「1次産業の見本」とみなしたわけです。

まとめ~1次産業の枠に収まらない。地方の「埋もれた」観光資源も使えば魅力あるビジネスになる

萩大島船団丸と坪内さんのストーリーには続きがあって、株式会社GHIBLI は2016年から観光ビジネスを始めました。これは賢い戦略といえます。
マスコミの報道もあって坪内さんはいまや、1次産業界では知られた存在です。その知名度を生かし、漁師町に観光客を呼び込もうというのです。つまり魚を全国に配送するのではなく、全国の魚の消費者を萩市の漁港に集めようというのです。

冒頭に紹介した酪農の街、浜中町も北海道ならではの雄大な自然が広がる美しい街です。
地方には、1次産業から生まれる新鮮な食材や高品質の製品だけでなく、美しい日本の風景があります。しかしいまはまだ「埋もれた」観光資源の状態です。
6次産業の1つとして観光業を加えたら、魅力ある産業ができあがるでしょう。

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